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| 「沈黙の世界にあるもの」 文・中野仁詞 |
恋風の身に蜆(しじみ)川流れては その虚(うつせ)貝うつつなき 色の闇路を照らせとて」 |
| 夜毎に燈す燈火は 四季の蛍よ雨夜の星か 夏も花見る梅田橋」 |
| 近松門左衛門 曽根崎心中「天満屋の段」 |
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沈黙から 前夜
冒頭に<曽根崎心中》の一節を記した。
曽根崎は、<冥土の飛脚><心中天網島>など、歌舞伎・人形浄瑠璃の劇作家近松門左衛門の代表作の一つとして名高く、
天神森で心中をとげるお初、徳兵衛の悲恋物語である。本展「沈黙から」は、この<曽根崎心中>が契機となっている。
塩田千春に筆者が初めて会ったのは、2004年8月25日、東京・初台にあるケンジタキギャラリーである。
作家本人が登場するパフォーマンスの映像作品では、<BATHROOM>(1999年)、<私の腹痛>(2001年)[cat .nos.33-36] に引き続き、
本展にも出品される第3作目の<落ちる砂> [cat .nos.14-16] を観た際だ。
折しもこの年、公演制作の一人として筆者が勤務していた神奈川県立音楽堂@は開館50周年を迎え、いくつかの記念公演が上演された。
この中で、8月8日、文学、能、音楽、書という4つの要素からなる創作舞台<音楽詩劇 生田川物語 能「求塚」にもとづく> A[fig.1]が初演された。
企画に深く関わった作曲家・ピアニスト・神奈川芸術文化財団芸術総監督一柳慧氏と制作チームは、この作品に3つの基軸を据え、シリーズ化を考える。
その基軸とは、はじめに、日本の伝統を現代に捉え直す。第二は、一般的に、洋楽の実演の場として認識される音楽ホールの概念を脱却し、
洋楽以外の芸術的要素を中心に据える。第三は、実演という時間芸術に、空間芸術である美術作品を取り入れ融合させる。
しかも、この美術は同時代の作家による、という一見言葉で表すと気高くも美しいが、いざ実行となると様々なハードルを越えなければならない難しい課題であった。
世阿弥の能<求塚>を題材とした<生田川物語>は、詩人大岡信氏が新たな解釈で台本を書き下ろし、観世流能楽師観世榮夫氏が演出。
出演は観世氏、狂言界で先導的役割を果たす野村万作氏など重厚な出演者が揃い、音楽は一柳氏により構成された。舞台上に展示されたのは、
紙面に一文字のみを描き、一字がゆえに発せられる緊張感と深遠性により、独自の世界を開拓した書家井上有一氏の筆になる、2点の<愛>、1点の<鳥>であった。
この3点の「出演」は、舞台と客席との距離を気密にする有機的役割を果たした。
<生田川物語>の準備が進むなか、第2作目が目論まれた。前作に続き、日本の伝統を現代の新たな総合芸術に再構築するこの舞台で、
まずは根幹をなす古今二人の芸術家の名があがった。世阿弥の生きた室町時代後期から約300年後の江戸時代元禄期、浄瑠璃作者として数々の傑作を書き上げた
近松門左衛門の作品に、テーマの基点を求めた。そして、数ある作品から<曽根崎心中>が選定される。次に、世阿弥の曲を題材とした前作、
そして近松の描いた曽根崎への流れを踏まえ、両者の思想に介在する人間の「生と死」の観を具現化できる美術作家は誰か。
その作家は、美術作品を展示する美術館とは異なり、舞台と客席というホール特有の2極に分化、固定された空間で、観客と作品との多様な距離の存在を把握できること。
そして、至芸の出演者たちが全霊を賭して打ち込む演技に勝るとも劣らず、その作品は、舞台上で独立した存在として命脈を保たなければならない。この作家が、
本展の主人公、塩田千春に他ならない。
彼女にこの企画を提案したところ、直ぐに快く引き受けてくれた。構成と出演は、文楽人形浄瑠璃における人形遣いの名手、三世桐竹勘十郎氏の内諾も得られた。
徐々に形になりつつも、この企画は実現には至らず今日に至った。
本展「沈黙から」は、3年という月日を経て、神奈川県立音楽堂から神奈川県民ホールギャラリーという展示空間に場を移し、塩田千春の個展として実現したものである。
そして、展示室では、日本の伝統を基軸にする当初の意図とは異なるも、同時代の音楽、文学、ダンスの世界で活躍する多彩なアーティストを招き、
彼女の作品を基軸にしてパフォーマンスが試行される。 |
 <生田川物語>[fig.1] |
記憶と不安の海で
塩田千春の作品創造の原点は、心身の根底に深く刻まれ、拭えぬ存在として体内に沈潜する記憶である。
その記憶は、生身の自分と自分を取り巻く世界の中で、逃れられない不安へと導かれていく。
しかし、彼女はその不安から逃避することはない。なぜなら、その不安と、不安の海に身を浸すことが作品の素地だからだ。
彼女は、幼い頃から外界の出来事を鋭敏に見据え、感じ取り、記憶の中に刻み込んだ。小学校の頃、経験した祖母の死。
その埋葬のときに感じた土の匂いと感触。幸せな家庭、両親から注がれる愛情の中で、ふと感じた自分の不在。
近所の火事で耳にした、業火に包まれる瀕死のピアノの音。これらの記憶と不安感をもとに、後に作品として、土は巨大なドレスに塗られ、バスタブの中で作家の身体に注がれる。
燃やされた音の出ないピアノは展示室で、声を出したいが発声できない作家自身の代弁者となった。
塩田は、京都精華大学に進み、彫刻家村岡三郎氏の指導を受ける。当時、校内の廊下や階段などで、糸を結びつける彼女の姿が見かけられたそうだ。
今では、インスタレーションの手法の一つとして知られる、大量の糸を展示室全体に張る表現は、この頃から試行されている。
体内に不安が存在するとき、彼女は、目覚めの瞬間、部屋全体が真っ黒に編みこまれた状態のように感じた。しかし、彼女は目の当たりにしたこの状況を記憶し、
糸という素材に転生させ作品に昇華する。「糸」という言葉は、結ぶ、切る、もつれる、絡むといった動詞と繋がる。これは、生活のなかで身近な材料である糸が、
日本特有の言語表現として、人間の心理状態を映す。と彼女は語る。展示室の空間に重層的に張られた糸は、彼女の体感した不安という心理が現生したものに他ならない。
漆黒の闇。それは音も空気の流れもない沈黙の世界だ。真っ黒に覆いつくされた無の空間から少しずつ時間をかけ、不安という闇が溶け出し、最後に残った黒の部分が、
縦横に張り巡らされた糸であるのか。そして、交錯する糸の隙間から差し込む僅かな光に、不安から導かれる死のメタファーに対峙する生の在り処を、彼女は見つけるのかもしれない。
留学先のオーストラリアでは、<Becoming Panting>(1994年)[list .nos.1-5] を発表する。自らがキャンパスそのものとなり、鮮血にも似た真っ赤なエナメル塗料を全身で受け止め、
彼女は絵画そのものとなった。この作品は、自らの身体性と女性性を赤裸々に明かし、以後、肉体を酷使する表現の萌芽といえる。
ベルリンは、塩田千春に新たな記憶の種を与え、作品創造に欠かせぬ不安という心理状態を瓦解させることなく、彼女の視点と表現を拡大させた。
第一次大戦、ワイマール共和国時代、ナチス独裁、第二次大戦、国の分断、資本主義・社会主義の衝突、壁による市民の分離、再統一。
ベルリンは波乱尽くめのまちである。現在約350万人が暮らすこの都市は、脈打つ歴史の中で、生活の糧を求める人、芸術、経済、法学など創造と知を求める人が抱いた無数の希望、
その数をはるかに超える絶望を一度に飲み込んできた。今なお、このまちは、過去から現在にいたる人種を超えた人々の思いがその体内で蠕動している。
塩田は、1996年からこのまちで暮らす。ベルリンの生活で彼女は、1999年までの3年間に9回の引越しをする。日本と遠くはなれたベルリンの地で、眠りから目覚めるとき、
認識することができない自分の在り処。果たして自分は今にどこにいるのか。夢のなかの自分か、現実の自分か。安らいだ眠り。その目覚めは、同時に沸き起こる不安となって、
彼女を押し潰そうとする。しかし、この不在感と不安に苛まれながらも、自らの遠い記憶を呼び起こし、覚醒した意識と重複させ作品に投影した。
そして、彼女はこのまちの歴史を呼び戻す。旧東ベルリン地区で集めた窓によるインスタレーションである。
窓は、雨、風、音そして危険を生活の場から遮断し、穏やかな室内を保障する。ベルリンの窓にいたっては、どんよりと覆いつくす厚い雲の下、
身を切る冷気が襲う長く暗いこのまちの冬からも、温かい屋内を確保する。さらに、塩田が集める窓は、旧東ベルリンに暮らした人々が、図らずも別れた家族への思い
自由への羨望の念、あるいは諦めをもって西側を見つめた視線が焼きついている。窓に浸み込んだ彼らの思いを感じ取った塩田は、寝ても覚めても窓のことが頭から離れなかった。
毎日、建物の解体場や、建設現場に通い窓を集めた。ある時、その窓が自分にとって「皮膚」であると気づく。第1の皮膚は、血の通うまぎれもない自分の皮膚。
第2の皮膚は衣服。そして、壁に遮断されていた時代、東側に住んでいた人々の記憶が浸み込んだ窓は「第3の皮膚」であるのだと。
さらに、彼女は、窓を自身の内的世界と外界を隔てる分水嶺と位置づける。集めた窓を一枚いちまい緻密に組み合わせ、浸透した異なる記憶を関係させることは、
内なる世界と、未知(救い)の世界を仕切る壁を越えようとする行為でもある。窓のインスタレーションは、時には、バベルの塔を思わせる見上げるほど巨大な円柱となり、
ある時には家の形をとる。これら窓の集積体は、建築物の資材としての窓の本来性と、展示室内で作品のパーツとして組み合わされる非本来性を超越して、
圧倒的な迫力をもって塩田千春の「今」を観る者に伝えようとする。
世阿弥は、人間の心理の鋭い観察者であり、常に死の相をフィルターとして人間を見た。生を、死という永遠の時間に封じ込め、生の変容を冷徹に見据える。
そして、生と死のコントラストにより、日常では計り知れない、人間の心に潜む闇と欲望を見事に暴いた。近松は、世阿弥が取り上げた、やんごとなき殿上人や武士の世界ではなく、
江戸時代に生きる町民を捉えた。遊女、醤油屋の手代、大店のせがれ、油屋の女主人、表具師など様々な町民の姿に、生活の苦しみ、性の快楽、親子、妻、恋人、
職場の人間関係など、彼らの日常にある生き様を尖鋭な眼差しをもって見抜き、生の中に潜む死の有り様を浮き彫りにした。そして、究極の愛の姿を心中物語として世に出した。
曽根崎の徳兵衛は、夜の闇路を歩き、恋焦がれるお初のもとに通う。徳兵衛、お初はお互いの肌の温もりを確かめあうことで生の証を記憶した。
目覚めの時、二人の心におこった不安。それは、この世に暇乞いを告げる日が、目前に迫っていることの予感でもあった。長き夢路を辿りながら、天神の森へ行く日のことを。
沈黙は、何もない世界。その世界で、何かが微細な音をたて動き始める時、塩田は、耳を澄ませその小さな音を聞き、僅かな気配を肌で感じとる。これを合図として、
彼女は、沈黙のなかにある自分の故郷に向かうための旅支度にはいる。
同時代、我々とともに生きる塩田千春は、女性として、ベルリン市民として、アーティストとして、日本から遠く離れたベルリンの地で、今も自己の記憶を集積し、現代社会に誰もが抱く不安と、自己の存在・不在を凝視する。
そして、日常では気づかぬ「沈黙=無」の世界にある、死の存在と生の力を静かに物語る。
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(神奈川芸術文化財団美術部門学芸員)
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@:1954年11月24日開館。設計は前川國男。95年から財団法人神奈川芸術文化財団が管理運営。
同財団は本展の会場、神奈川県民ホールも運営している。」
A:作:大岡信、演出:観世榮夫、音楽:一柳慧、書:井上有一
出演:観世榮夫、野村万作、三宅右近、茂山逸平、桜井真樹子、一柳慧、神田佳子 」
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