1996年8月
オーストラリアに交換留学していたとき、私の好きなポーランド人作家、マグダレーナ・アバカノヴィッチがドイツのハンブルグで教えて
いることを、友人のハンガリー人留学生から聞いた。もし彼女のもとで勉強したいなら、ドイツに帰ったとき、いろいろな情報を送ってあげると
約束してくれた。
一ヶ月後、実際に大学の資料が送られてきたので、バグダレーナ・アバカノヴィッチのもとで勉強したいという意思の手紙、
自分の作品の写真などを送った。
三ヵ月後、当のアバカノヴィッチが広島での展覧会のため来日したので、留学を終えて日本に帰国していた私は広島へ行き、
実際に彼女と話した。しかし、彼女に聞いたところ、私の手紙は届いておらず、しかも、彼女はハンブルクでは教えていない、
という。
がっかりして、家に帰ると、ドイツから、自分が送ったファイルが戻ってきており、
「あなたの作品をじっくり拝見させていただきました。もし、ここハンブルクの大学で勉強する気があるなら、いつでもいらっしゃい」
という手紙がついていた。
送り主は、旧ユーゴスラビアの作家、マリーナ・アブラモヴィッチ。
私の友人が、マグダレーナ・アバカノヴィッチとマリーナ・アブラモヴィッチを間違えたことで、私のドイツ行きが決まってしまった。
1996年10月
書類をそろえ、就学ビザを取り、ドイツ行きの片道切符を買う。母に、どうせ行くなら、三年は帰ってくるなと、と言われる。
1997年7月
師であるマリーナ・アブラモヴィッチがハンブルクの客員教授を辞め、ブラウンシュバイクという小さな町で
主任教授となる。私もハンブルクを離れ、ブラウンシュバイクに移り、三ヶ月暮らすが、肌に合わず、そのまま大学に籍をおき、
ベルリンに移った。
1997年8月
「夏期休暇のため、三ヶ月間、部屋を貸します」というビラを見て、電話をする。旧東ベルリンのプレンツラウアーベルクに
部屋を見つける。
トイレ、お風呂、キッチンは共同。同居人はパウロとサンダラ。三人の共同生活が始まる。
三ヵ月後、旧西ベルリン、シェーネベルクにひとり部屋を探す。台所、風呂なし。トイレは、前の人と共同。
一ヶ月二百二十マルク(約一万五千円)。
お風呂がないので、近くのプールに通う(ドイツでは、プールに入る前に、髪の毛や、体を石鹸で洗ってもいい)。
そのころの私は、泳いでいる時間よりシャワーを浴びている時間のほうが長かった。
1998年8月
展覧会のために靴を借りたいと、友人に電話をかけまくる。集まった靴の数は、約百足。目標の五百足にはまだ足りない。
日曜に開いているフリーマーケットで、使い古した靴を売っている人を探し、交渉。
ベルリン中のフリーマーケットをまわっても、まだ足りない。
古着屋に行き、靴百足を一足一マルクで買い、夏の暑い中、展覧会場に何回も、自転車で運ぶ。
靴を並べて、赤い糸で結んでいたら、隣の公園で騒いでいた子どもたちが窓から覗き、「なにをしてるの?」と聞く。
私は、「作品をつくってるの」と、いい加減に答えたのだが、子どもたちは「私も靴で遊びたい」と言った。
私が、「じゃー、アーティストになればいい、そうすれば靴で遊べるし、ほかにもいろんなことができる」。
子どもたちは、「うん。じゃー大きくなったらアーティストになりたい」と言った。その瞬間、私の中で何かが救われたような気がした。
1998年10月
ベルリンの一番大きな画集屋に立ち寄り、時間を潰していると、河原温の画集が目に入った。
その重い本を取り出して開いてみると、彼が友人に出した一枚のポストカードがあり、ただ一行、「私は、まだ生きている」と
英語で書かれていた。
わたしはその言葉を、もう何度繰り返したか分からない。人込みの中にいるとき、電車の中で、公園の芝生に寝転がりながら、
自転車でアルバイトに行く途中、いろんな所で、いろんな時に、「ワタシハ マダ イキテ イル。芸術やっています。
作品をつくっています。作家です。いや、美大生です・・・・」と。
1998年12月
大阪に生まれ、しかもトロ箱屋の商売人の娘として育ったものだから、自分でも商売がもっと上手かと思えば、
それとは正反対。「金のためには、作品はつくれない」といった言葉がきっかけで、予定されていたギャラリーでの展覧会が
中止になった。自分が純粋に作品をつくっていきたいと思うことと、生活をしていかなければいけないこととのギャップに、
時々、戸惑ってしまう。
1999年12月
ドイツに来て三年、ベルリンで九回目の引っ越しをする。あんまり寝どころを変えたからか、朝起きて、ここがどこなんか
わからへんときもある。
不安なことがあると、朝四時とか五時に目が覚める。それから、二時間ぐらい眠れへんなる。
頭だけが言葉遊びをして、ああでもないこうでもないって考えてるうちに外が明くるうなって、また疲れて朝六時ぐらいに
眠ってしまう。
うちの先生は、蝋燭の火をともすと不安なく眠れるって言うた。そのとき、何か妙な気がして、この不安がなければ
困るとも思ったんや。
不安がなくなれば、作品、つくられへんなるような気がして、もっと不安になる、もっと眠られへんようになるって・・・・。
うち、ほんまわからへんねん。
うちは、百パーセントの自分に会えるような気がして作品をつくってるんや。どこから来て、どこへ行くんやろうとか、
そんなことで悩んでるんと違う。
子どものころは親の愛情をいっぱい受けて育った。子どものころのアルバムを見れば、うちが、両親が愛し合ってできた
子どもやって、ようわかる。
でも、もう家には帰られへんねん。どこへ行けばいいんか。どこへいっても何か、そこやないような気がして、
気が落ち着けへんねん。だからってどうすることもできへん。わかってる・・・・。
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