質問>まずは横浜トリエンナーレ2001について伺います。トリエンナーレに出品している作品のコンセプトについて教えてください。
タイトルは「皮膚からの記憶」で、パフォーマンスのあと泥だらけになった体を洗いながら、何か洗っても洗い落とせないわだかまりみたいなもがいつまでも自分の心の中に残っていて、それをどうすれば総化できるか、と2年ぐらい前から考えていました。
普段の生活の中からもベルリンで多国籍の人たちと生活をしていると、自分がアジア人である事を忘れてしまう時がある。
でもふと鏡に写る黒い髪と黒い目や肌の色に現実に返される時があり、その自分と身体とのギャップや記憶などをテーマに今回の作品を作りました。
質問>作品を制作・展示する際に一番大変だったのはどんなところですか。
展示会場との兼ね合いだったと思います。私の作品は泥だらけの作品のうえ大量の水を必要とします。
それをできたばかりの建物でしかも電気配線が地下に埋め込まれているところに置く。その事が想像以上に大変だったように思います。
質問>横浜トリエンナーレ2001についてどんな感想をお持ちですか。
最初、この話しを今回のキューレターである建畠氏から、「横浜トリエンナーレでは約100人のアーティストに新作をお願いしています」と聞いた時、はっきり言って無謀だと思いました。
新作というのは、作家自身が悩みながら作るゆえ、まとめにくいのです。
でもそこが良かったのでしょう。
以外な作家がこういった作品を発表しているというような新鮮さがあって、楽しく展覧会を見ることができました。
質問>塩田さんの制作面について伺います。塩田さんにとって、作品を作ること・発表することは、どういうことでしょうか。
子供の頃、土葬された私の祖母の上に生えた雑草を引き抜く時に感じた恐怖感とその手の感触。
それが何か分からないまま今でも心に強く残っていて、作品と大きく関係しているように思います。
私は大阪で育ったのですが、両親が2人とも高知県出身で夏に田舎に帰るたびにお墓のまわりの草抜きをする。
その草を抜くのが怖くて、何かまだ人の呼吸が聞こえてきそうで、その時の記憶と土と草と人の死が作品を作る上で重要なポイントになっているのだと思います。
質問>アーティストとして生きていこうと思ったのはいつ頃ですか。また、きっかけはどんなことですか。
アーティストとして生きていこうと思った事はありません。
ただ小学校の頃から絵を描くのが好きで、先生によく誉められた事が嬉しくて、そんな単純な理由から、お絵描き教室に通うようになり、画家になりたいと思うようになりました。
それからは…楽しさよりも苦しさの方が増したような気がしますが、きっかけはそんな簡単な事でした。
質問>いままで発表してきた作品のなかで、自分が最も気に入っている作品は、いつどこで発表したどのような作品ですか。また、どんな点でそれを気に入っていますか。
気に入っている作品というか、今までの私の作品の中で分岐点となった作品といえば99年に作ったビデオ作品-Bathroomだと思います。
ただ自分の風呂場で泥水を永遠と頭からかぶっているだけのビデオ作品なのですが、この人工的な生活とストレスから逃れて自分の意識を取り戻しあるべきところに帰りたいという気持ちから土を素材に選び、パフォーマンスを始めカメラを回したのはいいのですが、なかなか自分の思うようにはいかなくて、日も暮れてきてもうこれ以上できないとあきらめた時、はじめて作品が仕上がった。
またこの作品を展示した時12才の子供に「どうしてこの人は泥水で自分を洗うの?きれいな水を使わないの?」と言われた時、胸が痛かった。
などいろんな意味で思い出深い作品です。
質問>各国のいろいろな展覧会に発表を続けて、気付いたことや思ったことはありますか。また、横浜トリエンナーレに対してはどのようなイメージをもってとりくんでいますか。
ベルリンで展覧会をすれば私は、日本人作家と言われる事が多く、また他の国に行けばベルリンのアーティストといわれ、この前のオランダでの展覧会で始めてドイツ人作家として招待されました。
今、私はドイツに来てもうすぐ5年になろうとしています。
ここベルリンで多国籍の人たちと暮らし生活して行く事にも慣れ、最近よく耳にするようになった、ディアスポラ的な生き方とは、まさに私の事だと思いました。
ディアスポラ、ご存知かもしれませんが、ギリシャ語の「種をばらまく」という意味に由来し、以前は離散したユダヤ人を指す言葉として用いられ、強制的に土地を追われた、各地に点在しながら文化的に共有するものを持つ、元の場所に戻れない、といった人々を意味する言葉です。
確かなものは、この私という誰からも奪われる事のない体ひとつで何処へでも行ける。
という事だけで離散し生活する人々…。
グローバリーゼーションを意図した展覧会は振り返えればいつも、ナショナリズム的なものを要求される展覧会が多かった。
そういった展覧会はいつも、私は日本人作家である事を意識した上で招待されたのか、それとも私であるから招待されたのか、という疑問が出てくる訳です。
今回の横浜では、そういった自分を証明するような外形や指紋やパスポートなどをすべて追い払って、今の私の作品を見せる事ができればいいと思っています。
最後に>トリエンナーレが開催される横浜、あるいは日本の市民にむけて、何かメッセージをお願いします。
横浜は私の叔母が住んでいて昔から馴染みの深い街でした。 アルバムを見るといつも桜の木の下に写っている小さな私がいる。この横浜に現代美術の国際展ができ、又それに招待された事も何かの縁だと思っています。人を通じ、又作品を通して、何か共感するものが見つけられればと思っています。
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