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展評 てんぴょう 009 issue autumn2001
「不確かな自分への底なしの不安」 文・井上昇治(中日新聞記者)

 横浜トリエンナーレに出品した「皮膚からの記憶−2001」で、若手(1972年、大阪生まれ)ながら存在感を示した塩田千春のまとまった個展が トリエンナーレ開催に合わせて名古屋で開かれた。トリエンナーレでは、泥にまみれた、高さ12mもの衣服を天井からいくつも吊るし、シャワーで洗い流す インスタレーションが多くの観客を引きつけた。名古屋では、別のタイプの作品が4点展示されたので、 併せて紹介したい。

 名古屋でのメーンとなったのは、画廊二階に展開したインスタレーション「・・・への不安」である。 この二階のスペースは窓側が間切りによって区切られ、小さな個室空間が作られている。実際は狭隘な部屋だが、 照明を落とすことで深い奥行きが感じられるこの空間を見て、塩田は作品の構造を練ったという。 彼女はインスタレーション制作のためにドローイングを描きためることはなく、空間を見て記憶の中から発想を 掬い上げる方法を探る。その意味では展示場所の空間に関する洞察が作品に緊迫感を与えていることが分かる。

 このインスタレーションでは、小部屋の奥に病院用のベッドがひとつあり、黒色の毛糸が巨大蜘蛛の巣のように 網を張り、ベッドを覆い尽くす。部屋全体を蹂躙するほどの不気味さで、悪夢と言った方がいい光景だ。 糸の一部は禍々しいほどの増殖力によって個室をはみ出し、入り口左方にある洗面所までも支配下に置く。 水道の蛇口からは水が延々溢れ出ている。ショッキングだ。 言いようのない不安感を駆り立てる。この作家は、何らかの深い精神的外傷を負っているのか? 引き裂かれた身体?アイデンティティの喪失?筆舌しがたい孤独?病んだ内面?憎悪?恐ろしい強迫観念的な場面に、苦悩を抱え 、精神のやり場に身悶えする、アーティストの姿を想像した。  しかし、現実に会った彼女は拍子抜けするほど、ほんわかした、優しい女性だった。 話を聞く限り、何か特殊な境遇を持つとは思えない。むしろ、この「不安」は、特別なものというより、ある種現代に生きる 人々に共通する、より普遍的な受難に根ざしているのではないか。

 確かに、塩田は海外に出ることで、より厳しい環境に自分を置くことにはなった。 ドイツに渡ったのが1996年。引っ越しを繰り返し、不眠に悩まされ、体調を崩して入院すること4回。 眠ることさえが自分に安寧を与えてくれない日々。早朝目が覚めて、ふと我に返る。自分は一体どこにいるのか? 自分はだれなのか?確信できるものは何もない。不安?何が不安? 将来か今か?それさえが掴みきれない。この、たゆとう、漠然とした日常を固定したいという、これまた漠然とした何かに 背中を押されるようにとにかく縛りつけたいという願望。だが、そんなことが叶うわけはないのだ。

 このインスタレーションに見られるような不安、葛藤は、塩田の作品に見られる顕著な特徴である。 横浜トリエンナーレの出品作「皮膚からの記憶」では、洗い流そうとしても消し去れない日本人の身体的記憶 (黒い目、黒い髪、黄色い皮膚・・・)が主題化されていた。ドイツ語で衣服を「ツバイテ・ハウト(第二の皮膚)」と言うと 聞いたが、考えれば、泥だらけの衣服(すなわち皮膚)を洗い続ける、この作品もまた、逃れることが永遠にできない自分の身体と記憶、 存在の淵源への、無限に繰り返される美しき繊細な問い掛けに由来しているのだ。

 今回と同じような作品は過去にも発表していて、1000uものスペースに70台もの軍隊用ベッドを置き、 黒い糸を張り巡らしながら自らもそこに寝てパフォーマンスをしたことがある。普通は安らかさを得るはずの眠りに対する 極限的な不安(徴兵制が背景にある)が、ここでは作品化されたのだろう。 あるいは、「ぼくの本音には音がない」という詩の断章に惹起され、燃えて音を焼失させたピアノを黒い糸で縛り付けたり、 膨大な数の靴を糸で引っ張ったりしたインスタレーションを試みたこともある。 これらも、自分の身体、存在、居場所、故郷に関する不安、自分の地理的・心理的ディアスポラ的感性、漂うように空虚で、 イメージと現実とがかみ合わない、不確かな自分への底なしの不安が背景にあると言っていい。

 画廊1階には写真とビデオ作品が展示されていた。写真2点は、アイスランドでのパフォーマンスを記録した連作。 草原で全裸の塩田が赤い糸で足から順に体全部を縛り付けていき、最後は全身から糸をたなびかせるというパフォーマンスのシーンだ。 この赤い糸に血を連想すれば、ビデオ作品「マイ・ストマックエイク」も合点がいく。 身体から滴り落ちる自分の生理の血をビデオで撮り、8分にまとめたこの映像作品も生理をきっかけに自分の存在の問題を普遍化させていったもの。 決して特殊な状況における強迫観念をテーマ化したものではないし、ことさら女性をテーマとして強調したものでもない。 生理痛、自分の身体から出る血液が、自分の生を実感できる、今ではただ一つの確かなものとして余白を静かに染めていくのだ。

 塩田は、横浜トリエンナーレ出品のほか、欧州などでも2003年まで展覧会予定が入っているといい、急激に注目を集めるようになった存在。 転機は98年だという。アバカノビッチと間違えてアブラモビッチに師事していた98年ごろ、フランスの城で5日間の無言・断食という課題を与えられた。 課題の最後に、参加者一人ひとりが自由に言葉を書くらしいのだが、この極限状態に塩田がつづった言葉は「日本」だった。 ここで、本人がいやおうにも自覚したのが日本人であることの身体性、遺伝子、歴史・・・だったのだ。 この後の作品発表で、彼女は泥だらけになって崖を転げ続けるパフォーマンスを行うのだが、ここで明確化された「自分はどこから来てどこへ行くのか」 「帰る場所がほしい、しかし、帰ってみたところで居心地の悪さは消え去らない」という不安は以後、より深められる事で普遍化されていった。

 今回のトリエンナーレには、二人の師、村岡三郎とアブラモビッチも出品している。村岡からは物質や素材の在り方に対するこだわりを学び、 アブラモビッチからは女らしさを教えられ、自分が女であることや作品が女性のものであると見られるコンプレックスから開放されたという。 今後が楽しみな若手である。
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